2011年3月24日木曜日

政災

 私は国家主義者ではない。むしろそれと闘う生き方をしてきたつもりである。しかし、「国難」(国難と言うのには抵抗があるが)ともいわれる今、現に国家が存在する以上為政者が現在の状況の中で何を為さねばならないか位はわかっているつもりである。国家主義に反対する立場の者はそうしたことを知ったうえで反対することは当然である。
 いうならば現在の自然災害と原発事故の事態はまさに『戦時』といっていい状況であり、実際の対応も10万の自衛隊や予備役を動員し警察・消防や自治体を動かすなど国家権力の総力をあげた戦時体制に準じることが繰り広げられているし、これからさらにその方向にすすむだろう。
 菅総理以下民主党政権が無能でこうした事態にうろたえていることは判る。しかし、それ以上にこの国の政治全体の無能さを露呈したのは、自民党谷垣総裁の「災害復興担当副総理就任拒否」である。いかに「平時」ボケをした政治家であったとしても 彼ら自身が声高にさけぶ「国難」のなかで政治家として「戦時」になにをするべきかということくらいはわからなければならないだろう。 
 菅がせいぜい「国会対策」や「消費税増税」程度のもくろみで軽薄にも「電話で申し入れ」をしようが、それを同水準で『大連立』程度のうけとめをして「拒否する」のはあまりにおそまつである。
 民主党と同様に自民党にも災害の復興プランや東北地方のあらたなビジョンなどもっていないことは判る。しかし、この「国難」を転じて国際的にも大きな転換点にきているこの国のありかたを作っていくチャンスである。そう望まなくてもこの災害はその転機となるだろう。
 民主党政権の行き詰まりの中で国民世論と参議院を左右できる勢力をもつ政党党首がそれを指し示すのは使命である。もちろん谷垣や自民党にそうした国づくりの構想などないことは承知であり、だからこそ政権から追われて野党に定着しようとしているのだが。
 今日の政治状況の中で政権内に入り、世論を背景にして政治的には連立を組まずして、おそらく国家予算に匹敵する予算を握る「復興担当副総理」とし『二重権力』状況つくりだして実権を握って復興国づくりを行うことも不可能ではない。
 そうしたことすら思い浮かばずビビって「電話で失礼」だとかというおろかな理由で逃げたのであろう。必要な時に必要なことを為さぬことは犯罪的な無能である。
 けっきょくのところ、菅や民主党、谷垣や自民党、この国の政治家にとっての「国政」や「政治」とは国会内の議席やとりひきそして政府内でも配分力程度のことという認識を現し、とても国家として国と運営し国民を庇護することなど頭の片隅にもないことを露呈してしまっている。 

 アメリカが第7艦隊を東北沖に展開し、日本をその庇護の元に置いたことを国際的に示したように、現在はまだ自動車部品程度のことしか表面化しないがこれから徐々に日本の工業生産の停止と低下が国際社会と国際経済の中に大きな影響があらわれてくるだろう。そのように日本が危機的状況にむかいつつあるというのが国際的な認識である。
 まさに、今回の災害と原発事故の被害が直接の被災者だけでなく国民全体と国際的にもひろがり、その復興が急がれる中で この日本のすべての党派の無能な政治家たちの存在は「政災」という第3の災害として私たちにのしかかってくるだろう。
 

2011年3月22日火曜日

先端技術=末端技術

以前、永六輔の本に書かれていたが、先端技術だと騒いでいるが「先端」というのは大本の方からみたら「末端」じゃないか。
 先端になればなるほど科学技術は、人間や人のくらしの実感や感覚から離れて末端や末梢のものになっていく。 現在進行している事態は、それをそんなにありがたがっているととんでもないことになることを教えている。

2011年3月21日月曜日

エセ『専門家』たちが次に言うだろうこと

 福島の原発事故がどうなるかはまだわからない。しかし、もしこのままなんとか治まってきた時にエセ『専門家』たちが口をそろえて言うだろうことは予測できる。
 「日本の原発は格納容器があるからこれだけでおさえることができた。圧力容器は壊れなかった   だからやはり安全だ!」「原子炉の事故ではなく想定外の津波による事故だった」とあいかわらずのむなしい「安全だ」ということである。
 「専門バカ」 という言葉があるが、専門家にとっては「原子炉は壊れなかった」こととが「壊れなかった」ことであり「事故」であり、数十万人が避難する事態は「事故」としてみえないのである。
 今日現在でも「建屋は水素爆発で壊れたが「格納容器は壊れていない」だから「まだ安全だ」と言い張っている。
 建築でいえば、地震の時高層ビルなどは揺れても「壊れない」。建築家は「地震で壊れない」と自信をもっていうだろう。しかし、実際には中にいる人間は波間の子の葉ように部屋の中で翻弄され物にぶつかって負傷し 家具や内装は壊れる。しかし、柱や梁つまり構造が壊れない限り専門家にとっては「壊れていない」のである。でも人間とその生活を基準にした時 「壊れた」ことになる。

 こうしたエセ『学者』『専門家』を孤立させない限り 学問や科学技術をまともに直していくことはできない。
 

「想定外」を隠れ蓑にした後知恵と言い訳 その責は万死に値する。

 「原発」と「地震」について『専門家』と『学者』たちは「想定外」という言葉を連発している。つまりは これまで「よくわからないことを判ったフリをしていた」ことを自白しているだけである。
「想定外」という言葉を使うならば、その程度の『想定』しかできていなかった自らの知見の貧しさを恥その『想定』をもとに行ってきた傲慢と結果に対する責任と罪をまず自らに課し、社会に対して負うべきである。そのことを抜きにして『想定外』と言葉を使うことは許すことができない。
  地震については 専門家や学者はこれまでも「まだ よくわからない」ということは認めていた。そしてそのうえでいろいろ言っていたからまだいい。しかし、その彼らも東海沖地震についてはあたかも『予知』できるかのようにふるまってきた。地震学者の知人は「"予知できる`と言わないと予算がもらえないから」と自嘲的に言っていたが、それがほんとうのところだろう。
 地震の方は どちらにしろとめられないからまだ仕方がない。

 問題は「原発」である。こちらの『学者』『専門家』の責任は重大どころか、その罪は万死に値する。
「原発事故」は原発を作っていなければ起きなかった。
 『専門家』『学者』がもし こうした事故がそして被害が起きることを正しく示し評価していたならば 政府や社会がいかに作ろうとしても原発が作られることはなかった。
 無謀な原発建設に対してはさまざまな形で警鐘がされ反対がされてきた。それを覆い隠し抑え込んできた者こそ現在「想定外」を連発し後知恵と言い訳をしている『専門家』『学者』たちである。
 今回の事件でテレビなどに次から次へと出演してくる『専門家』『学者』の多さにいつのまにかこんなにたくさんいたのかとその数にまず驚く。彼らは「原発」があってこそ存在できる、原発にぶら下がって飯を食っているのだ。その理由は「地震予知」のカラクリと同じだが、地震とは違って原発を作ることでまた増え続けてきた人為的な増殖なのだ。
 現在 放射性廃棄物を完全に処分することはできないことは誰もが知っている。なのにそんな「技術」を『安全』と言ってきたのも彼らである。いずれこの分野でも「想定外の事故」が起き、彼らはまた「想定外」の後知恵と言い訳をするだろう。
 原発の廃棄はもちろんのこと、原発の発生源であるこうした『専門家』『学者』を根絶することこそこれからするべきことだ。
 

2011年3月10日木曜日

厚生年金被保険者の配偶者である専業主婦は3号被保険者として

国民年金の支払いをしなくても受給資格があるが、1号被保険者の専業主婦は自らも1号被保険者として保険料を支払わなければならない。 これは「不公平」ではないのか!
 実は昭和61年3月までは、配偶者が厚生年金、共済年金に加入している専業主婦は国民年金の任意加入をして国民年金の受給資格を得る制度であった。61年4月以降は国民年金が「強制加入」となりその際厚年と共済年金加入者の妻である専業主婦は保険料を支払わなくても国民年金3号被保険者とされるようになった。しかし、国民年金加入者の妻の専業主婦は自分が1号被保険者として強制加入させられることになった。
 つまりは、この時から自営業者の妻である専業主婦と厚生年金、共済年金加入者の妻である専業主婦は、制度として「不公平」に扱われることとなっている。
 この騒ぎの中で「不公平」をいうのならば まずこの問題から議論がされなければならないはずだ。
 

2011年3月8日火曜日

「不公平」が流行りだが

主婦の年金問題や入試のネットカンニングで「不公平」という言葉がTVのコメンティターなどから使われだした。確かに「不公平」ではあるが、しかし何かおかしな傾向を感じる。
 そんなことを言う前から世の中は不公平にできている。そんなこんなをちょいと考える必要があるように思っている。
 「不公正」ということばもあるなぁ