2011年3月21日月曜日

「想定外」を隠れ蓑にした後知恵と言い訳 その責は万死に値する。

 「原発」と「地震」について『専門家』と『学者』たちは「想定外」という言葉を連発している。つまりは これまで「よくわからないことを判ったフリをしていた」ことを自白しているだけである。
「想定外」という言葉を使うならば、その程度の『想定』しかできていなかった自らの知見の貧しさを恥その『想定』をもとに行ってきた傲慢と結果に対する責任と罪をまず自らに課し、社会に対して負うべきである。そのことを抜きにして『想定外』と言葉を使うことは許すことができない。
  地震については 専門家や学者はこれまでも「まだ よくわからない」ということは認めていた。そしてそのうえでいろいろ言っていたからまだいい。しかし、その彼らも東海沖地震についてはあたかも『予知』できるかのようにふるまってきた。地震学者の知人は「"予知できる`と言わないと予算がもらえないから」と自嘲的に言っていたが、それがほんとうのところだろう。
 地震の方は どちらにしろとめられないからまだ仕方がない。

 問題は「原発」である。こちらの『学者』『専門家』の責任は重大どころか、その罪は万死に値する。
「原発事故」は原発を作っていなければ起きなかった。
 『専門家』『学者』がもし こうした事故がそして被害が起きることを正しく示し評価していたならば 政府や社会がいかに作ろうとしても原発が作られることはなかった。
 無謀な原発建設に対してはさまざまな形で警鐘がされ反対がされてきた。それを覆い隠し抑え込んできた者こそ現在「想定外」を連発し後知恵と言い訳をしている『専門家』『学者』たちである。
 今回の事件でテレビなどに次から次へと出演してくる『専門家』『学者』の多さにいつのまにかこんなにたくさんいたのかとその数にまず驚く。彼らは「原発」があってこそ存在できる、原発にぶら下がって飯を食っているのだ。その理由は「地震予知」のカラクリと同じだが、地震とは違って原発を作ることでまた増え続けてきた人為的な増殖なのだ。
 現在 放射性廃棄物を完全に処分することはできないことは誰もが知っている。なのにそんな「技術」を『安全』と言ってきたのも彼らである。いずれこの分野でも「想定外の事故」が起き、彼らはまた「想定外」の後知恵と言い訳をするだろう。
 原発の廃棄はもちろんのこと、原発の発生源であるこうした『専門家』『学者』を根絶することこそこれからするべきことだ。
 

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