2010年10月15日金曜日

建設労働者の社会的処遇

 建設労働者の運動というか組合は困難な方向に進んでいる。このことはなんとか早くまとめて書かなければならないと思っている。それは現在の組合幹部特に雇われ幹部たちは建設労働者のことが判らなくなっていることである。これこそ 危機 である。
 朝日新聞の恣意的な報道に端を発した建設国保を巡る問題は、加入者に「建設業従事者の証明」をさせることになってきた。その部分だけをとりあげれば「建設業で働いていなければ国保に入れないから、証明は当然だ」ということになる。これは現在の幹部たちの限界である。
 しかし、問題の本質は別にみなければならない。先般、派遣労働者の問題で日本の社会保障制度、セィフティーネットが大穴だらけで国民・労働者のうちの恵まれたもちろん「恵まれた」なとどはとてもいえない人たちも含むが、それなりの企業や官公庁に雇われている労働者あるいはそれなりの個人事業主などだけしかそれを享受できないことが露呈した。だが、この状態は今始まったことではなく戦後期からあったのである。
 その典型が建設で働く人々である。健康保険制度がはじまった時にもそれから外され、失業保険も年金からも疎外され、社会保障や社会保険制度の狭間に置かれ続けてきた。
 だからこそ、「職人から事業税をとるな」「職人にも健康保険をよこせ」と運動をして自己負担をすることで日雇い健保の擬制適用を運用的に適用させてきた。しかしこれらは諸制度から疎外され建設労働者が闘いによって国や資本に認めさせてきたものである。国保組合の設立もそれである。
 しかし、建設労働者の社会的処遇と労働条件が派遣労働者とまったく同じかむしろもっと厳しい状況はなんら改善されていない。それを自助努力による国保組合の運営に安住し、あるいは国の各種審議会程度に幹部が入れる程度の組合になった程度のことで「慢心」をしているのではないか。
 「立派な組合」になったかもしれない。しかし、「組合員の社会的処遇やくらしは立派になった」かといえばまったく変わっていないではないか。
 現場でケガをした時、法的強制力のない労災保険の特別加入に自己負担で入っていなければ何の保障もない、国保組合もわずかな国の補助金以外は自分たちの助け合いであり、長期の休業保障もない、失業保険にも入れず仕事が切れれば失業の保障もない、仕事に欠かせない道具も自分持ち、なのに賃金はかっての半分に下がっている。つまり仕事でケガをしても病気になっても仕事がきれて失業しても何の保障もない。
  今回、建設業で働いている証明、雇われている証明・・・・それはすべて建設労働者を排除し疎外してきた国の貧弱な社会保障制度に建設労働者のほうから合わせるようにしろ、その枠に入れ もしその書類や実態をそろえなければ排除されてもしかたがないと言ってきたことである。そんなことに唯唯諾諾と従うことは、闘いによってこれまで切り開いてきた先輩たちに顔向けができないはずだ。
 あるがままの建設労働者や疎外された国民を網羅する社会保障制度や社会保険制度を国に変えさせ、作らせることこそ建設労働運動の王道でありやってきたことだ。
 

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